彼女と彼女の物語

女2人?の恋人同士、むつきが日々のあれこれをつづります

かつて恋を知らないスケベだった話

こんにちは、むつきです。

今日のテーマは、「かつて恋を知らないスケベだった話」です。



実は、ぬーちゃんは私の初恋です。


むつきはこの年(20代後半)になるまで、恋をしたことがありませんでした。

でも、小さなころから読書少女だったせいか、
人一倍「運命の恋」に憧れてはいました。

そして、アブノーマルなエロコンテンツが好きなスケベでもありました。

 

運命の恋に憧れ、めくるめく快楽に夢を抱き、

誰のことも好きにならないまま、19才になった私はとうとう観念しました。

「あ、このままだと私、30になっても好きな人がいないんだ」

「運命の相手を待っていたら、処女のまま30の誕生日を迎えるんだ」

 

「初恋は幼稚園」とか「最初の恋人は中学の時に」とか言っている人がいるのに、

この年まで誰も好きになれなかった。

これはいよいよ、私には恋愛の才能がないのかもしれない。

そして心を決めます。

「恋はいったん置いておいて、若い内にセックスを楽しもう」と。

 

現代日本の文化傾向は、セックスに対してネガティブです。

「健全に奔放に性を楽しみたい」派は、間違いなく少数派でしょう。

一対一、これと定めた相手と以外はセックスをしない。

それが貞節といもので、それ以外は不純である。

それはがマジョリティです。

 

でも、それは、私にとって極めて真面目に、合理的に考えた結果でした。

今この年の肉体の悦びを追求したい。

愛し愛される相手が見つかる前に、何となく好き、ぐらいで恋人を作りたくない。

いつかもし、心から好きになった相手ができたら、相手を気持ちよくしてあげたい。

 

誤解のないよう断っておくと、私は、自分以外の人間が、

性経験がないまま30才になることや、

処女性を重んじるのを、まったく否定しません。

 

ただ、私はかつて、

リカちゃんでスケベなロールプレイをしていた小学生で、

自分の描いた緊縛凌辱絵を見てドキドキしていた中学生だったので、

おそらく、セックスに対して、周りの女の子の何倍も好奇心旺盛で、

貪欲だったのです。

そんなわけで、それから20代半ば頃までは、欲求と好奇心を満たす日々になります。

人格を求めない原始的なセックス、人生経験を広げるためのセックスなので、

出会いもセックスも一期一会、同じ相手と二度会うことはほとんどなかったです。

  

この間、私のことを好いてくれる人もいました。

でも、そういう人たちと付き合うのはもちろん、セックスなんてできません。

 

当時の私は、自分の深い内面をオープンにするのが、とても苦手でした。

いつも気を張って格好をつけていたので、

知り合いに「甘え」や「乱れ」を見せるなんて、想像しただけで恥ずかしい!のです。

旅の恥は掻き捨て、って感じですね。

 

セックス<<<<<キス<<<<<<(中略)<<<<<<付き合える≒結婚できる

初対面の人とのセックス<<<<<<知り合いとのセックス

 

これが私のハードル感覚です。1つ目の方は今も変わってないかな。

一晩の身体的なコミュニケーションの方が、

何か月も何年もの精神的なコミュニケーションより、はるかに単純で楽ちん。

SMやポリネシアンセックスみたいなのは別ですね。

あれはお付き合いとはまた別の、高度なコミュニケーションなので。

 

まあそんなこんなで、「色んな性の遊び」に関しては、私はもう満足しました。

女の性欲は30代を超えてからっていうから、

もしこれから先何かやりたいことを見つけたとしたら、

それはぬーちゃんと楽しみたいと思います♡

 

ちなみに、私はポリガミスト=多夫多妻がしっくりくるタイプだとも思ってたんですが、

愛するぬーちゃんがポリガミスト=単婚主義者で、

私の抱き枕にまでヤキモチを妬く始末なので(かわいい)

今はぬーちゃん一筋ですが、それでも問題ないみたい。

 

もし今19歳の私が目の前にいたら、言ってあげたい。

大丈夫だよ、10年以内に必ず、心から好きな人ができるから。

あなたの選択は間違ってなんかないから、これから存分に楽しんでね。

 
そんなこんなで、むつきの20代前半は、

人一倍恋に焦がれつつ恋を諦め、

スケベ心にとことん向き合い過ごしたのでした。

 

 

「かつて恋を知らないスケベだった話」は、こんなところで。

ではでは、また次の記事で。